ところで、私は初めて音楽系の学術討論会に参加しましたが、法学(邦楽じゃないよ)の研究会と違いますね。
まず、思ったことが、研究者であるよりも演奏家に偏っているタイプの先生は、やはり、喋るのがお得意ではない。
弾かせるとあんなに楽器が饒舌に喋るのに、自分の口ではあまり表現できない人もいるんですね…意外だなぁ。
ここらへんが、演劇、演出を専門としている先生とはずいぶん違う(演劇演出系の方の中には、若いころ、自分自身が役者として舞台に立っていたとかいうタイプは喋る喋る…)
そして、ある程度、講演(公演も含む)が得意な大学教授兼演奏家(どっちを前に書くべきだろう)の先生でも、音楽という言葉にしづらいものを対象としている以上、やっぱり伝えにくいことがあるのでしょうね。
談先生が、突然、「言うより、やった方が早いわ」とすっくと立ち上がり、檀の下に降りてきて学生から三弦を受け取り、三弦抱えながら喋り始めました。
「こうすると、北方系の雰囲気は出るでしょう?」
「こうするのと、こうするのでは、スリの効果が違うから、感情表現も違ってくるでしょう?」
などと、あれこれ、弾いてくださいました。
ううむ、一つ一つは、簡単な、あるいはちょっと複雑な単なる演奏技法にすぎないのに、談先生が弾くと、ただの「技」ではなく「表現」になってる。
さすが、先生…(って当たり前ですね、何年も弾いて、これで生計立てているんだから…)
最近、ふと、思うのだけど、やはり、初心者はどうしても「技」の習得に気を取られていて、ややもすると何のためにその技を身につけようとしているのか忘れちゃっているような気がする。
目的と手段がごっちゃになっているですよね。
その技法が出来るようになるのは当然だけど、何のために身につけているのやら。
何かを「表現」できず、誰も感動してくれなかったら、意味ないじゃん~
もっとも、XXが速くできるということ自体が「おお~すげ~」となる見せ場もありかもしれないけど、そんなん…若いうちしかできないし、ある程度運動神経ある人なら、誰がやっても同じでしょ(笑)
わはは、年寄りの言い訳かもしれないけど…
その前に、十六分音符のトレモロを180の速度で、3分弾き続けてみろって>自分