二胡LESSON127

「三門峡暢想曲」の引子と快板を除く部分の譜読みを何とかやったので、それをちょこっとやりました。
多くの人がブログでいろいろ書いていらっしゃる有名な曲ですが、皆さん、だいたい、こうおっしゃってますね…。

「習い始めの頃は他の人がこれを習っているとかブログで書こうものなら、『なに、自慢なわけ?私には一生無理、コイツ殺してやりたい』って思ってたけど、いざ、自分が習ってみると、ゆっくり弾く分には、別にさほど難しいとは思えない…」

ある意味、同感(^^;
でも、“譜面的に”さほど難しくない曲って、音色が綺麗じゃないとバカみたいに単調に聞こえるだけだから、本当は難しいんだと思うけど…
速く弾いてなんぼみたいな曲(例えば「賽馬」とか)は、速くさえ弾ければ、音が一つ抜けようが、音が何処かでかすれてようが、どこかで音程が多少狂おうが、素人目には「すご~い」ってなるから、下手でもいいんだろうけど。

しかし、これの快板の部分は、速すぎて、原曲のスピードで弾ける日はくるのだろうか(汗)

これをピアノと一緒に舞台で弾けたら、さぞや気持ちいだろうなぁ~と思いました。

「三門峡」って、黄河最大のダムのあるところですよね。
三門峡ダムの労働情景、人々の楽観向上精神を謳った曲のようで、1960年代に創られた比較的新しい曲。
だから、二胡っぽくないというか、西洋っぽいというか。
先日までやっていた「病中吟」の憂鬱な旋律とは大違い(笑)

さて、話は変わりますが、最近、ちょっと精神的にしんどいのですヨ。
歳をある程度とってから楽器を習った人なんて、真剣に上手くなりたいと思っていればいるほど、絶対、子供の頃からやってきた人を殺したいって思ったことありますよね(笑)。
六歳六カ月から今まで細々とずっとやってきましたって人、正直、大、大、大嫌い。。。

だって、まず、環境(お金の有無、時間の有無)が不公平…
同じ芸術と呼ばれるものでも、文学や美術等は、運動神経とはあまり関係ないので、何歳なって初めても問題ないし、音も出ないので真夜中にやってもなんら他人の迷惑にはならない…
多くの大人は、仕事しないと食えないから、そもそも飯の食えないことをやり続けるだけの環境がない(^^;
その点、子供の頃、たくさん時間のある時に、他人(多くは親)のお金で、ちゃんとした先生(場合によっては両親や祖父母)に基礎を教えてもらえた人って、本当に羨ましい…
100万回殴っても気が済まないくらい羨ましいですヨ。
基礎がきちんとしていれば、その上に何を積み上げても、くずれないし、何年かブランクがあっても、再開した時に、安定して積み上げられるから。
(だけど、そういう人達からしたら、趣味でやってんじゃねぇから辛いこともあったと言うかもしれない…)

しかし、抽象的にそういう人たちを憎んでも、自分の心が病むだけ…

ところで、スヌーピーの作者、シュルツさんの興味深い一節…
(彼はチョコチップクッキーが大好きだったのだそうな。)

「WHAT DO YOU DO WHEN YOU FEEL THAT LIFE IS TREATING YOU UNFAIRLY?」
「LEARN TO BAKE YOUR OWN COOKIES」
訳せば…
「人生って不公平だなぁって感じるとき、どうしたらいい?」
「自分のクッキーの焼き方を覚えなよ。」

そういうことなんだと思う…
私だけのクッキーってどう焼いたらいいんですかね…

二胡LESSON125,126

さて、休日の初日は、二胡のレッスンに行ってきました。
前回のレッスン記事は書くの忘れたので欠番。

実は、ナナ先生、週末は香港へ出張で、月曜日にお戻りになったばかり。
香港へはお仕事(楽団の公演)で行ったのですが、公演後の空いた時間はショッピングや遊びに行って、とっても楽しかったそうです。
ディズニーランドが楽しかったらしい…私も昔行ったなぁ~(でも、東京や米国のディズニーランドを知ってると、香港ってみょ~に狭いような感じはするけど…)

さて、本日のレッスンは引き続き「病中吟」
いやはや、相変わらずの「棒読み」ならぬ「棒弾き」なワタクシ。
弓の速度を自由自在に変えることができないと音に表情がつかないわけですが、私の場合はとにかく音程と次に来る音のことで頭がいっぱいで、規則正しく弓をひくことになってしまうわけで…
「そこまで規則正しく平淡に弓がひけるというのは、それはそれで、技術のいることだから、ある意味、スゴイことなんだけどね」とナナ先生も、ちょっと苦笑い…
お芝居や朗読なら、感情に伴って、素人でも自由自在に語気が変わろうってものだけど(中には棒読みしかできない人もいるけど…)、楽器でそれをやろうと思うと自由自在というわけにはいかないのが、素人には辛いところ。
とにかく、弓の速度を自在に変えられるように特訓しますか…

大昔から言われていることですが、「あなたは音程を気にしすぎ」
音感悪いくせに、音程、気にしぃなんですよね。
とにかく、次に来る音を100%外すまいとするから(実際は大先生でも外してしまうことは多々あって瞬時に調整してるわけですが…)、ポジション移動も慎重過ぎて、遅いというか重いというか…
「あなたは音程ばかり気にするから、とりあえず右手使わずに、無音の状態で、左手だけ移動する練習しなさい」と言われました。
あはは…
「二胡の棹なんて、三弦の棹に比べたら、相当短いんだから、その気にさえなれば、サッと動くでしょう?」と言われました。
確かにそのとおり…大三弦の上から下まで滑ろうと思ったら相当の労力と摩擦抵抗かかるし、指が摩擦で擦れて火吹きそうだけど、二胡なんて上から下まで高速で滑っても痛くも痒くもなんともないもんねぇ。

さて、いつも私を喜んで出迎えて、レッスン中はじっくり私の演奏を聞いてくれる(?)ナナ先生の愛犬「丸子」ですが、今日はもう一人(?)お客様が…
弾き始めてしばらくすると、丸子以外の視線を感じる…
で、そっちを向いたら、なんと別のワンコが無言で、じぃ~っとこちらを睨んでいるではありませんか!
ちょっと小さめのこげ茶のワンコ。
「うわっ、先生、そんなところに、もう一頭いるっ!」と私が驚いたら、
「友達が休暇を利用して田舎に帰ったから、預かったのよ」とのこと。
「わ~、この子、さっきから居たのに、何も喋らへんから気がつかなかったわ~、私のこと、コワイのかなぁ」と聞いてみたら、
「まだ、生まれて一年経ってないから、お子ちゃまで、人みしり激しいだけ」だそうです。
ちなみに、名前は「飯団」、要するに「おむすび」のことです(^^;
丸子(日本のアニメ、ちびまるこちゃんに由来する)といい、飯団(日本のおむすびに由来する)といい、日本っぽい名前ってペットの名前として流行ってるんですかね?
日本だとショコラとかマロンなど、スイーツ系多い気がするけど(^^;

やっぱり三下がりが好き

三味線の調弦で「三下がり」というのがあります。
私はこの調弦の響きが大好きです。
今日、三下がりの曲ばかり練習していたら、棹にハエがとまって動きませんでした。
ううむ…私が下手だからからかいに来たのか?
それとも、この響きの振動がたまらなく身体のツボに効くのか?

「三下がり」というのは、
例えば一の糸(一番太い糸)をCに合わせるとすると、
一の糸C、二の糸F、三の糸オクターブ高いCと合わせるのが「本調子」。
そこから三の糸(一番細い糸)を一音下げてCFB♭にするのが「三下がり」です。
ちなみにCGCは二の糸が一音上がるので「二上がり」といいます。
私はチューナーなしで合わせる時は、蛍の光を口ずさんでいます…
出だしがCFFF・・・なので(^^;
現代の中国大三弦は、三味線調弦で言うところの「二上がり」で調弦してGDGです。
三味線とコラボする時等はAEAと上げることもあるみたいですが…。

私が最初に教えてもらった曲といえば、「津軽じょんから節(旧節)」ですが、これは「二上がり」ですね。
(よく、コンクールとかで皆がバンバン弾くようなやつではなくて、初心者でも弾ける簡単なじょんからの伴奏があるのです)
当時、三味線の先生に「何故、じょんからは二上がりなの?」と聞いたら、「他の調弦じゃ弾きにくいでしょう?」という演奏家らしいかなり現実的な回答が返ってきました(^^;
中国三弦という楽器は今ではマイナーな楽器になってしまいましたが、歴史的には様々な音楽に使われてきた楽器なので、伝統的な音楽の調弦はいろいろあるみたいです。
でも、「三下がり」があるのかどうかはよく知りません…
調弦というのも、調べるといろいろあるのでしょうね。

私があんまり嬉しそうに三味線を弾いているので、私の譜面を「チョット貸してよ」と私の脳内に住む双子の姉(!?)が奪い取り、中国三弦で弾いてくれました。

音源コレ↓
「中国三弦で弾いてみた民謡」

妹だから遠慮なく言うけど、民謡っぽくないよ、コレ(^^;
しかも、ドがつく下手くそ。
いくら三味線より棹が長くて上のポジションのツボとツボの間の距離が長いとはいえ…
あんた、手も大きいし指も長いでしょ!
うーん…中国三弦は爪弾きなので押し撥出来ないしなぁ。
日本の曲を美しく移植するって本当に難しいね。