のぞきみ

がっこのレッスン室を借りて弾いていると、ごくたまに、誰かの視線を感じることがあります。

それは、
1、単に私に用事のある人が、中断させたら悪いと思って、一曲弾き終わるまで、声かけるのを待ってた。
2、聴きなれない音とメロディだから、好奇心で誰が何弾いてるのかと思って聴いてた(三味線弾いている時によくある)。
3、変わった音だから、何やってるのかと思って聴いてた(とある音色の変化に特徴のある曲を弾いているとき)。
だいたい、この3つです。

練習ですから、出来ないところを、まるで壊れたレコードをかけているかの如く繰り返していることが多いわけですが、それでも一日のうちに数回は通しで弾くことはあります。
普段、自分の音に自虐的な私ですが、一人で通しで弾いている時は、わりとテンション高めで楽しく弾いてるんです。

そんな時に、人の視線を感じると、正直、入浴を覗かれたような気になる…
だって、テンション高く弾いてる時って、無防備に自分の本性垂れ流し状態だよねA^^;
は…恥ずかしすぎだよね。
でも、ある意味、覗かれて悪い気はしないんだよね。

この程度で、入浴をチラ見されたような気まずさを感じていたら、演奏家の方々って、もしかして舞台でストリップショーしてるようなもん?
でも、お仕事だし、魅力的な裸だから、いいのね、きっと。
レントゲン写真じゃあるまいし、確かにお客さんに骨格までは透けて見えないけど(笑)、いろんなものがお客さん(初対面の人も多い)の目の前にさらけだされているわけだよね。
ある意味、よほど神経が…なんでしょうね。

弾き姿美人

よく美男美女は、弾く前から上手そうに見えていいな~なんて言いますよね(え?言わない?でも私、他の人の口からもこういうセリフ何度か聞いたことあるよ)。
じゃあ、逆はないのか?
つまり、上手かったら美男美女に見えるんじゃないか。

結論から言って、私はあると思います。

先日、お友達が中央音大の学生さんのコンサートを聴きに行き、戻ってきてこう言いました。
「二胡を弾いていた女の子、はっきりって太めでイケてないのに、弾く姿がとても優雅で、美しかった、惚れた!」

分かる分かる、無駄のない動き、美しいです。
それと、きっと、ほんとのびのびと弾いて、いい表情されていたのでしょうね。
私の二胡の先生も、最近、忙しくて不規則な食生活で、ちょっとふっくらされて、イケてないし(本人、ダイエットに励んでいる最中)、家の中ではTシャツとかで、溶けてるのかと思うくらいだら~っとしてますが(お仕事忙しくて疲れてる?)、弾き始めると、あれまぁ、別人。

ちなみに、私は三味線や筝を弾く男性って、すごくカッコいいと思います。
師匠や一門の先生方に道でお会いしたら、「どこの、おじさん、お兄ちゃんですか」と思うだけですが(ファンの人ごめんなさい)、弾く姿は2割増でカッコよく見えます。
正装して弾いたら、5割増でカッコよく見えます。

中国筝の演奏家、王中山先生、実際には、背が低くて、道で会ったとしたら、背の高い私なんて絶対に眼中に入らないと思うけど、弾き始めると、その身体がなぜに大きく見えるかなぁ…

詐欺だよ、詐欺!

姿勢が美しいから上手くなるのか、上手いから姿勢もいいのか、どっちもでしょうね(中には、プロでも変な姿勢で弾く方もいるのかもしれませんが…)。

あと、真剣に何かに打ち込んでいる姿は、別に弾き姿に限らず、人間、誰でも美しい。
ただ、事務屋さんの企画や営業は、一生懸命、仕事をしている姿って、なかなか人に見せる機会がないけど、演奏家って、その感性を人に見せて、聴かせる商売だものね…

先生方って、みんな、大鷺だなぁ~
背中に、バッサ、バッサって羽生えてる?

私も、「弾き姿美人」目指してがんばります。

二胡LESSON96

いつも、わ~わ~ぎゃ~ぎゃ~うるさい子犬ちゃん達ですが、大人になったのか、何だか今日はゲージの中で大人しい。
しかも、ゲージの中でお座りして、こっち見てるし…
まるで、「わくわく(゜▽゜*)♪何弾くの?」って言ってるのよ。
それは、それで調子狂うなぁ~
でも、アガリ対策にいいかも。

長弓のキーワードは「静止」
何があってもブレるな、動ずるなということです。
とりあえず、私は落ち着いた状態で、普通に弓を推したりひいたりする分には、これといって大きな問題はないらしいんです。
それを呼吸するかの如く自然にできるかというと、無理。
でも、やりなさい、そういうことです。
ついでに、ちょこっと脱線して、演奏時の緊張の話になりました。
普段、我々が話している時の声っていうのは、当然、安定しています。
でも、一旦、緊張が最高潮に達すると、結構、声が上ずったり、震える人っているんじゃないでしょうか。
プレゼンテーターの声が上ずれば、聴衆は、その上ずりに気を取られて、話なんて二の次になります。
おそらく、話し終わる頃には、「あの人の緊張すごかったね~」っていう印象しか残りません。
演奏も多分、一緒です…
緊張しすぎて、一定の許容量を超えてしまえば、いろんな人がいると思いますが、手が震えたり、汗で手が滑ったり、手がつって言うこときかなくなったりとロクなことないわけで、そういう状態で弓を推したりひいたりすると、おそらく、音が無意味に震えます。
まず、音が滑らかな線条には聴こえないでしょうね。
で、聴衆は音楽なんて聴いちゃいないでしょう…っていうか聴けたものではなくなるわけですな。
最終的に、「あの人すんごい上がってたね」これで感想終了。
だから、日頃から長弓は、わら半紙を適当に折って手で切ったような切り口の音ではなく、ハサミで切ったかのごとく、切り口はスパッとクリアでなければならない。
そこまで基礎ができていても、きっと、人前で弾いたら、(人にもよるだろうけど)絶対に平常心ではいられずにある程度ブレるから、ブレは最小限度におさめましょう(笑)ってことで。

次のキーワードは「瞬発力」
アクセントの付け方、つまるところ中国語でいうところの「音頭」を如何につけるかという話になりました。
四つの同じ音符があって、一番最初の音にアクセント付けたい場合、最初の音の弓の速度を速くするってことです。
パッと弓の速度を瞬時に上げるというのは素人にはムズカシイんですよね。
なんだかんだ言っても、手首が問題なのだそうで、肘鉄ならぬ、「右手首で人をガツンってなぐるような勢いで弓をひいてみなさいよ」と言われたんですが、意識すればするほど手首って固まってしまって…余計動かない。

ここで…疑問と言うか泣きごとですが…
音の頭をクリアにして、アクセントをつけるというのは何も二胡に限らず、いろいろな楽器で必要な技術です。
そこで必要なのは「速さ」です。
弾く系の楽器なら、爪が弦を通過する瞬間の速度、擦弦なら、弓の速度です。

若い人には関係ない話でしょうが、歳をとっている人の場合、力(圧力)みたいなものは、年齢に関係なく、鍛えれば鍛えただけ強くなりますが(例えば、弦を押さえる力みたいなもの)、速さは個人差が顕著に出ますよね?
これがスポーツなら、中年が50メートルを若者と同じように全速力で走れるとは誰も思わず、適度に自分の楽しみとしてマラソンとかに挑戦したりして、それなりの楽しみを見つけたりするんですが…
音楽となると、大きな筋肉を使うわけではないので、中年以降でも、出来る人には出来るけど出来ない人には、今から努力しても無駄よってのが、実際あるんでしょうね。
歳とってても出来ちゃう人ってのは、おそらく、もとの運動神経がよいとか、子どもの頃にそうとうな訓練をしたことがある人とか…かもしれません。
年寄りは、どこまでだったら、努力してみるべきなのか、努力しただけの成果が得られるのか、私には分からないというか、自分の身で試してみるよりほかはない(^^;
でも、別にプロになるわけ(あるいはなれるわけ)なくても、趣味として、アマチュアのオケとかで弾いて、一年に一度くらい、人前で弾きたいよねぇって思う人は、世間にも普通にいると思うんです。
いくら、仕事として弾くわけでもないから、といってもあまりにヒドイ演奏なら、誰も聴いちゃくれないだろうし(義理で聴くにも限界が…)、ある程度、聴かせられる演奏したいよね…
で、「速さ」って、全曲通して、速い曲なんて、普通の大人には無理がありますが、部分的に速く弾く(アクセントとか)ために、速さを追及してみる、これ、どういう風に練習したら、年寄りでもある程度は速くなるんでしょうね?
あるいは、私の先生方(三味線を除く)が、基本的に将来のある中高生、大学生を教えているせいで、そのノリで指導してくださっても、私にはもう無理なことなのか、やらないよりはマシなことなのか、本当に前例を見たことがないので分からないんです。

と、ここまで、書いてきて思うんですが、もし、私が二胡教室のアシスタントでもやったら、本当に自分自身の身をもって、こういう練習と、これだけの時間を費やしたことは有効だったけど、これはやっても無駄、年寄りの冷や水だよって、言えるっていうのはあるかもしれないですね(笑)