「がんばって」じゃなくて「がんばってるね」

どうにも、こうにも絶不調(^^;
しかしながら、絶不調だ、絶不調だと言ってるうちはまだ、さほどでもないんだろうな…と思う。
泣くのも叫ぶのも一種のストレス発散方法だからね。
本当にヤバイのは絶不調だと書く気力も失せたとき(経験者は語る…(笑))

私が大嫌いな言葉
「がんばる」
「努力」

がんばれば憂鬱な気持ちが消えて無くなるならうつ病の人なんてこの世に存在しない。
なんとかしようと思って頑張ったり、努力して悩むから、もっと憂鬱になるだけなのに、心身健康な人は(特に日本人は)「がんばって」って普通に言うんだよね…

ある障碍者の方がテレビで、「がんばって!」じゃなくて、「がんばってるねっ」って言われるのなら嬉しいと言ってたなぁ…
うん、これ、すごく分かるなぁ。

人はみんな肯定されたい生き物なのかも。

絶不調の理由

それは、この先、何を弾いたらいいのか分からないので、気持ちが沈んだまま浮いてこられない…ということだったりします。
他人にはどうしようもない自分の問題ですし、愚痴になるので、書くのやめようと何度も思いましたが…
書きながら、気が晴れるかもとか、いいこと思いつくかもと思って書いています。

十代なら、頑張ればそれなりに手が速く動くようになって、「おお~」と言ってもらえるような演奏ができるようになるんでしょうね…
そうなれば、大会に出てみるとか、いろいろ楽しいでしょうね。

ご年配の方なら、弾きたい曲を弾きたいように弾けば、おのずと人生の重みとか、経験によって味のある演奏ができるでしょうね。
それは、それで若い者には真似できない強みです。

じゃあ、中年は?
手も回らなければ、味もそっけもない…
中途半端ですよね~

私は前にどこかに書いたかもしれませんが、もともと津軽三味線好きで津軽三味線を習ったんじゃないんですよね。
同じように、二胡も二胡が好きで好きでしょうがないわけではない。
ついでに言うと、三弦も同様です。
あえて言うなら、ある種の音が好き、頭の中にある音楽を再現したい、っていう感じ。
だから、本当は楽器なんて何を持ってもいいのよ、ぶっちゃけ(笑)

津軽三味線の場合は、まぁ、先生に出会ってなければ、やらなかったと思います。
私は先生の叩く不思議な不協和音が大好き。
(もちろん協和音でも綺麗ですが…)
自分には出せない音だから。

津軽って、若い子は曲弾とか、バリバリに楽しくやってるんだろうけど、私がこれを一生懸命やったって、大したもん弾けるはずもない。
もちろん、合奏曲程度なら、ちゃんと練習すれば、自分の音は人の音に紛れてしまうので、人と一緒に弾けないことはない。
他人には私の音なんて聴こえないというか、どうでもいいからね。
例えるなら、私の音は、お味噌汁に入っている具のネギや豆腐が、切れてなくてくっついてる感じ?(笑えない例えかも…)

じゃあ、民謡とかならそんなに速く弾く必要もないじゃん、って思ったし、自分もこういうの嫌いじゃないから、今まで喜んで弾いてたんだけど…
そりゃ、誰かが私の音で唄って踊ってくれたら楽しいだろうなとは思う…

しっかし、結局のところ、私の家族には民謡聴く人皆無で、子供のころから親しんでいるわけではないので、おそらくちゃんとは弾けるようにならないのでしょうね。
身にしみついていないから。
もちろん、私と同様、津軽やってて津軽民謡知らないなんて恥ずかしいから、後で身に着けようと思う若い子もいると思う。
ものすごく才能あって期待されている人とか、環境にもともと恵まれた人だけ、勉強できるものなんだと思う…
もっとも、勉強できても、凡人に活かす場所もないと思うけど…(^^;

もちろん、素人の趣味なんだから、自分が楽しければ本来なんだっていいんだけど、私の場合、ご隠居様ではないから、お金使うばっかりで、お金にならない、人のためにならない、社会のためにならないことに時間を割くわけにいかない…(心理的ぷれっしゃ~)
ぶっちゃけ、下手であったとしても、人を本当に楽しませられるのなら、それはそれで社会の役に立っているという解釈になるので、使ったお金も報われそうなものだけど、それも無理。

そこで、なんか寂しいなぁ、空しいなぁ、この先、何弾けばいいの~というのが絶不調の理由です。
年月かけてやれば、何曲でもそれなりに弾けるようにはなるだろうけど、使い道がないし、ただ弾いてるだけで、他人にとって面白くもなんともない旋律が空回りするだけなんだろうなぁ…って思うと憂鬱。

ここまで書いてきて、ふと気づいたんだけど、要するに私、音楽一緒にできる同年代の友達いないってのも絶不調の間接的な原因なのかもなぁ…
同年代、あるいはちょっと年下の子でも、もう立派な先生ですから…
生活年齢は年々上がるのに、精神年齢が年々下がるっていうのも、原因の一つかも。
あと、初対面の人間怖いし…(^^;

津軽音頭は音頭じゃないの

津軽三味線のお稽古に行ってきました。
「津軽音頭」を看ていただきました。
でも、これ「音頭」って書いてあるけど、もともと音頭じゃないんですよねぇ…
音頭形式を用いる楽曲は盆踊りなどでよくありますが…あれじゃないんです。
初代高橋竹山先生のファンブログから引用すると、こういうことらしいです。↓

もともとは、明治27,8年ころ、西海岸を三味線を抱えながら流して歩いていた「秋田坊」と呼ばれていた盲目の芸人がよく唄っていた「秋田節」と呼ばれていた曲だそうで、埋もれた民謡を発掘し紹介することに力を注いでいた成田雲竹翁が昭和4年レコードに吹き込むにあたって、思いきって『津軽音頭』という名称にして吹きこんだのでそのまま『津軽音頭』と呼ばれるようになりました。

http://chikuzan.org/wordpress/?p=944

どうでもいい話ですが…私の先生は「譜面に、はずんで弾けって書いてあるけど、本当にはずんで弾いちゃったらダメだよ」と言いながら、NGバージョンを誇張して弾いて下さり、本当に盆踊りみたいでとても可笑しかったです。
もちろん、私、絶対にしません(^^;
でも、これ、津軽音頭の説明をしながら、こういう曲じゃないんだよって弾く分には公の場所でやっても許されるんじゃないだろうか…(笑)

さて、4月12日(土)は、私の所属している小山会の50回記念公演があります。(めぐろパーシモンホール 開場13:30、開演14:30)
本当は昨年が50回目の発表会に当たっていたらしいのですが(長っ…)、記念公演は今年なのですね。
記念だから、タダの発表会ではなく、有料(チケット2980円)のちゃんとしたショーなのです。
お問い合わせは小山会本部(http://www.oyamakai.com)まで。

いつもだったら、5月の連休に日本に帰って来れば発表会に十分間に合うのですが、今回は時期が早いんだよね~
でも、50年後は命ないだろうから、その週に日本に戻ってこようと思います。
先生には「飛行機代とかもったいないかもよ」って言われちゃいました…
先生、いい人ですね~私の懐の心配をしてくださって。
確かに合奏しか出ないんだから、もったいないでしょうが、逆に私のような下々の素人だから、死ぬまであと何回まともな舞台に立てるか分からないんだもの、ま、いいでしょ、というのが私の価値観なのです。

そんなわけで、その時にやる合奏曲、「緋の段」を看てもらいました。
あはは~
一人で練習しているときは、もう、暗譜は完璧で、音色が悪いのと音の切れが悪いのを除けば、適当には弾けてるのに、先生の前だとあがっちゃうんだよね(汗)
いや…先生は(いいか悪いかは置いといて)素人の教え子の出来にめちゃくちゃ甘い人です。
先生はよく、私の言動に「30年お稽古してきたけど、そんなこと言った人初めて」って言いますが、私だって、先生みたいな方は初めてです。
それだけに、私自身が私自身の音を許せないんです…

そして「HANIHOHE DON50」の譜面と「HANIHOHE DON45」の音源いただきました。
はにほへ?なにそれ?ですよね。
要するに、民謡メドレー、民謡のイントロクイズみたいな感じでしょうか。
新参者のは私はよく知らなかったのですが、昔から小山流には45曲の民謡メドレーというのがあって、今回は50曲に増えているのです。
え~これ暗譜?と思ったら、これはさすがに譜面見ていいんだって。
そもそも知らない民謡もあるし、津軽ものばかりじゃないのよ。
45曲の音源を聴いてみたけど、いや~楽しいね。
12分もあるけど、これ、普通のお座敷でやっても、民謡好きなご年配の人が多ければ楽しいんじゃないだろうか。
変更箇所はどこですかって伺ったら、「自分で聴きながら譜面見なさい、そういうの得意でしょ」って言われちゃいました。
あはは~確かに私、譜面と音源の間違いさがしみたいなのが得意です♪

先日、自分の三味線の先生のこと、ブログ内で何て呼ぼうかって言いましたが、「小山先生」でいいんですよね~
だって、私、どこに所属しているかまで隠していないというか、隠す理由なんてないし、一門の先生は、みなさん「小山先生」ですから(笑)
ついでに言うと、小山先生は、ネットに書き込みしない人ですが、人のはちゃんと読んでいたりします…