絶不調の理由

それは、この先、何を弾いたらいいのか分からないので、気持ちが沈んだまま浮いてこられない…ということだったりします。
他人にはどうしようもない自分の問題ですし、愚痴になるので、書くのやめようと何度も思いましたが…
書きながら、気が晴れるかもとか、いいこと思いつくかもと思って書いています。

十代なら、頑張ればそれなりに手が速く動くようになって、「おお~」と言ってもらえるような演奏ができるようになるんでしょうね…
そうなれば、大会に出てみるとか、いろいろ楽しいでしょうね。

ご年配の方なら、弾きたい曲を弾きたいように弾けば、おのずと人生の重みとか、経験によって味のある演奏ができるでしょうね。
それは、それで若い者には真似できない強みです。

じゃあ、中年は?
手も回らなければ、味もそっけもない…
中途半端ですよね~

私は前にどこかに書いたかもしれませんが、もともと津軽三味線好きで津軽三味線を習ったんじゃないんですよね。
同じように、二胡も二胡が好きで好きでしょうがないわけではない。
ついでに言うと、三弦も同様です。
あえて言うなら、ある種の音が好き、頭の中にある音楽を再現したい、っていう感じ。
だから、本当は楽器なんて何を持ってもいいのよ、ぶっちゃけ(笑)

津軽三味線の場合は、まぁ、先生に出会ってなければ、やらなかったと思います。
私は先生の叩く不思議な不協和音が大好き。
(もちろん協和音でも綺麗ですが…)
自分には出せない音だから。

津軽って、若い子は曲弾とか、バリバリに楽しくやってるんだろうけど、私がこれを一生懸命やったって、大したもん弾けるはずもない。
もちろん、合奏曲程度なら、ちゃんと練習すれば、自分の音は人の音に紛れてしまうので、人と一緒に弾けないことはない。
他人には私の音なんて聴こえないというか、どうでもいいからね。
例えるなら、私の音は、お味噌汁に入っている具のネギや豆腐が、切れてなくてくっついてる感じ?(笑えない例えかも…)

じゃあ、民謡とかならそんなに速く弾く必要もないじゃん、って思ったし、自分もこういうの嫌いじゃないから、今まで喜んで弾いてたんだけど…
そりゃ、誰かが私の音で唄って踊ってくれたら楽しいだろうなとは思う…

しっかし、結局のところ、私の家族には民謡聴く人皆無で、子供のころから親しんでいるわけではないので、おそらくちゃんとは弾けるようにならないのでしょうね。
身にしみついていないから。
もちろん、私と同様、津軽やってて津軽民謡知らないなんて恥ずかしいから、後で身に着けようと思う若い子もいると思う。
ものすごく才能あって期待されている人とか、環境にもともと恵まれた人だけ、勉強できるものなんだと思う…
もっとも、勉強できても、凡人に活かす場所もないと思うけど…(^^;

もちろん、素人の趣味なんだから、自分が楽しければ本来なんだっていいんだけど、私の場合、ご隠居様ではないから、お金使うばっかりで、お金にならない、人のためにならない、社会のためにならないことに時間を割くわけにいかない…(心理的ぷれっしゃ~)
ぶっちゃけ、下手であったとしても、人を本当に楽しませられるのなら、それはそれで社会の役に立っているという解釈になるので、使ったお金も報われそうなものだけど、それも無理。

そこで、なんか寂しいなぁ、空しいなぁ、この先、何弾けばいいの~というのが絶不調の理由です。
年月かけてやれば、何曲でもそれなりに弾けるようにはなるだろうけど、使い道がないし、ただ弾いてるだけで、他人にとって面白くもなんともない旋律が空回りするだけなんだろうなぁ…って思うと憂鬱。

ここまで書いてきて、ふと気づいたんだけど、要するに私、音楽一緒にできる同年代の友達いないってのも絶不調の間接的な原因なのかもなぁ…
同年代、あるいはちょっと年下の子でも、もう立派な先生ですから…
生活年齢は年々上がるのに、精神年齢が年々下がるっていうのも、原因の一つかも。
あと、初対面の人間怖いし…(^^;