二胡LESSON101

ずいぶん間があいてしまいました。
久しぶりのレッスンです。
実は二週間程前にすでに北京に戻っているにも関わらず、ナナ先生に連絡してませんでした。
理由は、「全然練習してないから」あわせる顔がない…

正直、「もうやめようかな」と思って、レッスンに出かけました。
目標がないっていうか…
目標の立てようがない…

せめて初心者に教えてあげられるようになろう、それが当初の目標でした。
世の中には、自分が上手く弾けても、教えるのが下手な人もいますしね。
不器用な私としては、ちゃんとした先生に教えてもらって、ちゃんと真面目に練習しているのに、いつまでたってもまともに弾けない人の気持ち、痛いほどわかりますしね。
自分がこの歳で、やっとの思いで出来たことなら、同じように不器用な人の参考になるんじゃないの、みたいな、そういう気持ちありました。

でも、出来ないにも程ってもんがあるよね、と最近思います。

もっとも、芸事の進歩ってやつは、他人と比べはじめたら、苦しくてしようがない。
ちなみに、ナナ先生は「私みたいに5歳から弾き始めて、それなりの先生について、それなりの練習積めば、誰でも中央音大に入れるわよ」っておっしゃってます。
私もそう思います。
そこまでなら、多分、条件さえそろっていれば、誰でも可能じゃないかと思います。
(芸で飯が食えるかとか、自分の芸が何かしら世の中の役に立つかどうかは別として。)
でも、誰も時間を幼少時まで巻き戻せないし、子どもの頃の環境は自分では選べません。
自分が今、おかれた環境で、どこまで、できるようになれるか、それは自分次第なわけですよね。
私も、100年まともに努力したって、ナナ先生みたいになれるとは思っちゃいませんよ、もちろん。
「じゃあ、どこを目指せばいいの?」ってところが、本当に分かんなくなって…

もしかすると、普通の人は、好きで好きで二胡やってるだけで、そんなこと考えもしないのか…

結局「やめたい」と言いだすことができず、なんだか励まされて帰ってきちゃいました。
「全然練習してないわりに、そのレベルは維持できてるんだから、そこまでの技術は消化できてるってことよ、それを固めて、次の段階へ行こう」みたいな。

そういえば、音大生がよく言ってるらしいですが、2,3日練習せず、次の日に練習したら急に上手くなったということがあるのは何故だろうってね。
私も例にもれず、何だか、いつもより音程がしっかりしているよと言われました。
おそらく、毎日何時間も練習していると、耳が慣れてしまうことと、嫌んなって、流されるままに練習しているだけなんだけど、たまに、何らかの事情で、数日、楽器に触れずにいると、神経が冴えるということが起こるらしい。
自分をより客観的に見られるというか、いつもより聴覚や指の感覚を研ぎ澄まさせるのでしょうね。
しばらくまともに練習していなかったということは、ある意味、そういう新鮮な感覚で練習出来るいいチャンスよ~みたいなことも言われました。

まぁ、「やめたい」と言わなくてよかったかも。
別に、練習が嫌で嫌で仕方ない、苦痛だとか、二胡を見るのも嫌だとか、そういうわけではないのだから。
ただ、上手くもならないのに、何で時間とお金無駄にしてるかな、っていう…憂鬱っていうでんすか、気持が晴れません。