二胡LESSON128,129,130,131,132

レッスン記録、ずっと書いてないなぁ(笑)

はい、相変わらずの三門峡です。
書くことないけど、記録のために書いておこうと思いつつ…
5回も書かなかったんだ(笑)

もう、書いても他人の参考にはならないと思うので(だって皆書いてるし)、これからは自分のためだけに淡々と記録だけ書いて、非公開投稿にしとくのもありかな…

虹色の弦

先日、ちょっと思うところあって、二胡の絹弦が欲しいなと思いました。
現在、中国の二胡はスチール弦を使うのが普通だと思いますが、日本人の中には絹弦のまろやかな音色を好まれる人もいるようです。
日本の三味線などの和楽器は、今でも弦に絹糸を使いますからお尋ねしたところ、「黄色ですけどいいですか?」と言われました。
和楽器に使う絹糸ってウコンで染めるので黄色いんですよね。
防虫効果あるとかないとか、聞いたことがあります。
あたしゃ、二胡も三弦も、弦なんて、ほとんど見ないので、別に何色だっていいんです(笑)

でも、ふと思ったのです。
筝(いわゆるお琴ですね)の弦が虹色に配置されていたらいいのになぁ~
そしたら、お稽古も続けられたかもなぁ。
ドが赤、レがオレンジ、ミが黄色、ファが黄緑、ソが青、ラが紫、シが赤紫

私は弦が四本以上ある弦楽器が苦手です。
俗に弦が多い楽器ほど最初のとっかかりが容易なので上達しやすいなどと言われていますが、私にとっては弦の数が多いということ自体、苦痛なのですよ~
ピアノもそうだけど、同じ色だと区別がつかん…
中国の古筝はオクターブごとに緑の弦が一応入っていて、見やすくなっているけど、21も弦があると、すぐにどこへ飛んだらいいか分からなくなる…
日本の筝だと、チョークとかで弦にさりげなく印を付ける人もおられるみたいですね。
やったことないけど、多分、楊琴とかもキツイだろうな。

多分、学習障害のお子さんとかいる人には何となく、気持が分かってもらえそうな気がするのですが、世の中には、視力も聴力も悪くない、知的障害もないのに何故か、読み書き計算等が困難な人っていうのがいるわけで、それに少しちょっと似てなくもないと思うのです。
私のは、単なる不器用ですが…
私は昔から視力はいいけど、本はそうとう顔に近づけないと読みづらい(笑)
大多数の先生は、私は目が悪いと勘違いしていらっしゃったみたい。
しかも、よほど慣れてているか、よほど集中している場合でないと、他のことが脳裏に浮かんでしまうので、すぐにどこを読んでいるのか分らなくなるという…(汗)

譜面も読みづらい…なぜなら、線がいっぱいあって、色がついてないから。
そしてフレットの多い楽器も、フレット自体がチラチラして、できれば視界に入って欲しくない。

かつて、筝の弦に色がついてないから見辛いって愚痴ったら、小学生に「お姉ちゃん、弦なんか見てるからダメなんだよ、身体で場所を覚えるんだよ~」と、もっともな事を言われました。
そこで、確かに、三味線などはフレットないから耳と手が覚えてるもんなと思い、身体で覚えようとしましたが、やっぱり辛い。
だって、筝って弦と弦の間の幅が等間隔なんだよな~、実際の音程と実際の弦と弦の間の距離が一致しないんだよな~。
というわけで気持ち悪いです。

え?三味線だって、三本の弦の間の距離は等間隔だけど、音程は五度離れてたり、四度だったり、異なるのに気持ち悪くないのかと問われれば、三本程度の弦なら、真中の弦を基準に左右の弦が何度ずつ離れているかは覚えていられるよ。
だから、筝の弦がとりあえず、弦と弦の幅を変えられないのなら、せめて、弦を虹色にしてくれたら、見やすくて便利なのに、と思ったのでした。
自分の不器用さを置いといて、変なこと考えるなよってか(^^;

もし、虹色の弦があったら、私のような人には便利ですが、普通の人、あるいは視覚過敏のある人には目がちらちらして不便なのでしょう(汗)
もちろん、私も不規則に音に色を付けたら、目がチラチラして酔いますが、きちんと規則正しく、虹色配列にしてくれたらグラデーションの法則で次の音が何か分かるので大丈夫というわけなのです。

二胡LESSON127

「三門峡暢想曲」の引子と快板を除く部分の譜読みを何とかやったので、それをちょこっとやりました。
多くの人がブログでいろいろ書いていらっしゃる有名な曲ですが、皆さん、だいたい、こうおっしゃってますね…。

「習い始めの頃は他の人がこれを習っているとかブログで書こうものなら、『なに、自慢なわけ?私には一生無理、コイツ殺してやりたい』って思ってたけど、いざ、自分が習ってみると、ゆっくり弾く分には、別にさほど難しいとは思えない…」

ある意味、同感(^^;
でも、“譜面的に”さほど難しくない曲って、音色が綺麗じゃないとバカみたいに単調に聞こえるだけだから、本当は難しいんだと思うけど…
速く弾いてなんぼみたいな曲(例えば「賽馬」とか)は、速くさえ弾ければ、音が一つ抜けようが、音が何処かでかすれてようが、どこかで音程が多少狂おうが、素人目には「すご~い」ってなるから、下手でもいいんだろうけど。

しかし、これの快板の部分は、速すぎて、原曲のスピードで弾ける日はくるのだろうか(汗)

これをピアノと一緒に舞台で弾けたら、さぞや気持ちいだろうなぁ~と思いました。

「三門峡」って、黄河最大のダムのあるところですよね。
三門峡ダムの労働情景、人々の楽観向上精神を謳った曲のようで、1960年代に創られた比較的新しい曲。
だから、二胡っぽくないというか、西洋っぽいというか。
先日までやっていた「病中吟」の憂鬱な旋律とは大違い(笑)

さて、話は変わりますが、最近、ちょっと精神的にしんどいのですヨ。
歳をある程度とってから楽器を習った人なんて、真剣に上手くなりたいと思っていればいるほど、絶対、子供の頃からやってきた人を殺したいって思ったことありますよね(笑)。
六歳六カ月から今まで細々とずっとやってきましたって人、正直、大、大、大嫌い。。。

だって、まず、環境(お金の有無、時間の有無)が不公平…
同じ芸術と呼ばれるものでも、文学や美術等は、運動神経とはあまり関係ないので、何歳なって初めても問題ないし、音も出ないので真夜中にやってもなんら他人の迷惑にはならない…
多くの大人は、仕事しないと食えないから、そもそも飯の食えないことをやり続けるだけの環境がない(^^;
その点、子供の頃、たくさん時間のある時に、他人(多くは親)のお金で、ちゃんとした先生(場合によっては両親や祖父母)に基礎を教えてもらえた人って、本当に羨ましい…
100万回殴っても気が済まないくらい羨ましいですヨ。
基礎がきちんとしていれば、その上に何を積み上げても、くずれないし、何年かブランクがあっても、再開した時に、安定して積み上げられるから。
(だけど、そういう人達からしたら、趣味でやってんじゃねぇから辛いこともあったと言うかもしれない…)

しかし、抽象的にそういう人たちを憎んでも、自分の心が病むだけ…

ところで、スヌーピーの作者、シュルツさんの興味深い一節…
(彼はチョコチップクッキーが大好きだったのだそうな。)

「WHAT DO YOU DO WHEN YOU FEEL THAT LIFE IS TREATING YOU UNFAIRLY?」
「LEARN TO BAKE YOUR OWN COOKIES」
訳せば…
「人生って不公平だなぁって感じるとき、どうしたらいい?」
「自分のクッキーの焼き方を覚えなよ。」

そういうことなんだと思う…
私だけのクッキーってどう焼いたらいいんですかね…