二胡LESSON87

久しぶりの二胡のレッスンです。

いや~いつまでたっても、何年たっても自信持って音階弾けない私です。
ナナ先生も「つかぬことを聞くけど、そうやってオドオド弾くのは、音程の狂いが分からないからなのか、分かっているけど、手元治せないのかどっち?」とお聴きになられました。
どっちもなんですが…
あえていうなら、正しい(と思われる)音程が心で唄えないからです。
もっと正直に言えば、正しい音程唄える人なんているの?っていうことなんですが…
世の中には自分は正しいと思って弾いてるけど、すごく気持ち悪い音階弾く人いるよね?

私はおそらくだいたいの音程の狂いは分かっている(つもり)と思いますが、微妙な狂いは分かっていないし、何かの弾みに基準音が狂うと絶対音感がないので、全体的に音が狂い始めます。
だから、普段ず~っとチューナー点けっぱなしにしてるんですよね。
それ、やめなさいと言われました(^^;
「音程分からないなら、ピアノに合わせて弾きなさい」と言われました。
厳密に言えば、ピアノも平均律ですから、ピタッと合う筈もないんですが、だいたい合わせるのに役立つわけですよね。
しかも、チューナーにあわせるよりは、ピアノに合わせた方が音程のズレをとっさに矯正できる能力を養うには向いている筈。
あと、よくやるのは、誰かの模範演奏と一緒に弾くってことですが、一緒に弾いている時はちゃんと合ってますけど、その音源がなくなると怖くて弾けないですヨ。

つまり、あれだね…
人生において成功体験がないから、自分そのものを肯定できないんじゃなかろうか…
先生と一緒なら「先生は正しい」から、その先生と同じような音程が出ていれば安心って言うか…
実際、先生でも間違うし、狂うわけだけど(これ、ホントだし、先生自身も自分で言うことあるもんね)、聴衆は気づかないことも多いし、気付いていても、先生のことを好きな人達はそれを責めるようなまねはしないからなぁ。
というか、そんなちょっとのミスで演奏すべてがオジャンになるような腕なら、演奏家や先生は務まらないっていうか、それ以上の魅力があるから大丈夫なわけでしょう?
つまり演奏家の場合、音程やリズムが「狂って」ても聴衆にとっては「正しい」んですよね。
そういう魅力のない私が、音程狂うって、そりゃ、恐ろしくないわけないじゃない?
と思うのですが、この気持ち、才能のある人、褒められて育った人には分かんないんだろうな。

「賽馬」はとりあえず、ゆっくりなら、何となく弾けてるんで、この調子で引き続きやっていきます。
「二泉映月」はとりあえず、しばらく寝かせましょうということになりました。
この曲、別に難しくないのに、重たいんですよね。
表面的なことなら、多分、速い人で半年習っただけでも弾けちゃうでしょう?
でも、そういう上っ面だけで人に聞かせられる曲じゃないんですよね。
だから、しばらく放置に決定。
その代わりと言っては何だけど、ということで「春詩」をやってみないかと薦められました。
ちょうど、春っぽくて、私の技術向上のためにいいし、そのわりには内容は「春」をイメージすればいいだけの重苦しくない曲でいいじゃんかということです。

【注意点】
わたしのビブラートの掛け方は、中途半端。
初心者にありがちな当たり前のことなんですが、次の音に移ることに頭がいっぱいいっぱいで、ビブラートが中途半端に半拍かかっているだけで、一拍を満たしていないんです。
これは、今日明日できるものでもないんで、気長にそういう状態なのだということを気にしつつ、長い目で練習しないといけないらしいです。
これでいいんだと思ってしまって注意しないと、そう言う変な癖がついたままという人も、ナナ先生曰く音大受験生でもいるらしいですしね。

師匠に憑依してみた(((( ;゚д゚)))

三味線のお稽古中、どうやら師匠は、私がまき散らしている(と思われる)「悶々のオーラ」に攻撃されてしまったそうです。
先日、私は師匠のライブで、師匠を見ていたら自分が弾いているわけでもないのに、あがってしまって気分が悪くなった~と書きました。
(http://arts.legalio.com/?p=1032)
そしたら、今度は師匠が私のお稽古を見ていて、私と一緒に弾いたら、なんか、乗り移られたよ~な変な気がしたというのです(汗)

え~~~?
なんか、私があんまりにも真剣に弾き、それを真剣に見たら、なんか毒されたって感じらしいです。
「精神的苦痛による損害賠償請求とかされても、知りませんからね」
と言っておきましたが(^^;

またまたぁ~~~
師匠は私に大甘なので、笑わそうと思ってそういうこと言ってんじゃないの?と思わなくもありませんが、もし本当に師匠が「あれれ」と錯覚したというのなら、あれですかね…私が本当に師匠の音が好きで好きでしようがないんで、「真似よう、真似よう」と同期しようとするから、真似っこされる側は、鏡を見ている感覚になるんでしょうか?
しかも、真似しきれずに、歪みまくるから、その鏡は、かなり気持ち悪くねじれ曲がっていたりするのかも。

師匠は見た目も言動も実年齢よりは若いけど、「今、血圧上がったかも」とか言ってたから、あんまり私が難しい顔して弾いて、師匠の健康を害しちゃいけませんね。
特に楽器のお稽古ごとの先生をやってる人がよくいうセリフですが、生徒が恋したり、失恋したり、いいことあったり、不幸があったり、悩んだり、落ち込んだりするとほんと、よくわかるらしい。
で、普通は、「分かる」っていうだけで、「同期」までしちゃわないと思いますが、なんか私の負のエネルギーすごかったんでしょうか。

お稽古の帰り道すがら、思ったんですが、師匠にはいつも元気で楽しい三味線弾いてほしいので、私もいつも元気に楽しく三味線弾かないといけませんね。
私の知り合いには、「先生」と呼ばれる人、少なくありませんが、何の先生であれ、生徒が上達すれば嬉しいものらしいです。
別に、師匠を喜ばせようとか思ってお稽古するわけじゃないけど(もちろん自分の表現したい「音楽」のために私は日々練習しています)、私が楽しく弾いて、師匠も楽しくなるならそれにこしたことないもんなぁ。

笑顔は伝染する…
とりあえず
不祥の(不吉な)弟子ではなく、不肖の(おバカな)弟子を目指してがんばります!

あがりの疑似体験

先日、もしも小っちゃくなれたら、演奏家の懐に潜り込んで、客席を見てみたいと言いました。
それ、読んでない方は以下の書き込みの意味が分からないと思うので、まずはそちらからどうぞ。
http://arts.legalio.com/?p=1014

三味線の師匠のステージを拝見して、冗談抜きで、見ているだけにすぎない自分があがってしまいました…
別に小っちゃくなって師匠の懐に潜り込むというヤラシイ想像(*/∇\*)をしたわけではありませんっ!

日頃、師匠の音源聴きながら、弾いているせいだと思います。
つまり、左耳で師匠の音を聞きながら、右耳で自分の音を聞きながら弾いているということを日常的にやっているため、ある意味、師匠の音をよく知っているわけで…(弾いている本人よりも特徴を客観的に知っていると思います)
ただ、技術上の問題により、もちろん、私は師匠の音を再現なんてできませんが、再現しようと努力しているのは確かで…
だから、自分が勉強した曲に至っては、自分が弾いていないのに、容易にあたかも自分が師匠の頭の上にいるような感覚になっちゃったんです(^^;
だって自分が弾くときには、いつも師匠の音が聴こえているので、身体は弾いてなくても、脳は勝手に弾いているのと同じ状態になってしまったんですね(汗)

おえぇ…正直、心臓と胃の調子悪い。
だから、ムスッとして、さ~っと帰ってしまったのは、決して師匠のステージが面白くなかったわけではありません…
(ちゃんと書いておかないと、師匠はどうやら、たまにご覧になっているらしいから…)

余談ですが…
演奏家の視線というものは、実際のところ、どこへ飛んでいるんでしょうね?
第一部のステージ(師匠ではなく、別の方々が弾いています)では、やたら、ある打楽器演奏家の方と目があったような錯覚を覚えましたが、おそらく、対角線上にいた共演者の方を見ていたんだと思います。
でも、こっちを向く(ような気がしているだけなのだが…)たびに、その演奏家の方の顔が

「私は音楽が大好きだぁ~」

という笑顔全開なので、つられて私も微笑んでしまいました(^^;
ミラー効果ってやつですね。
人間は相手の行動に反応し、同じ行動をしたり同じ感情をもつ特性があり、原因は、人間の脳にある神経細胞「ミラーニューロン」の働きによるものらしい。
つまり、笑いは伝染するのです。

いいねぇ、あそこまで幸せそうな顔ができるっていうのは…
そういう人と共演できる人はものすごく幸せだと思います。

いつか、「あなたと一緒に弾けてすっごく楽しかった」と言われたいです。
ははは…あと何年経ったら、弾いているときに余裕で笑えるんでしょうね。