ピアノは乱乱だけど三弦は楽楽な理由

ところで、五線譜って視覚的に音の高さを確認できる便利な楽譜だとは思いますが、私のような頭弱い人間にはちょっと問題があります。

私は子どもの頃、音の高さをそのまま視覚として(絵のようなものとして)見ていたので、ずいぶん経ってから、ミとファ(あるいはシとド)の間の距離は同じなのに、そこだけ半音の差しかないのは何故だろうと悩みました。

(すみません、ピアノやってる方には失礼とは思いますが…)
ピアノって変じゃないですか?

黒鍵が半音っていうのはビジュアル的には分かりますけど、何でミとファ、シとドの間は白い鍵盤なのに半音なんですか?
やめてほしい~
私はずっと視覚的に全音違うべきであるような気がしてて、でも聴覚的に出る音は半音ですから当然、なんか上がりきっていない変な音が出るわけで、キモいなぁとずっと思い続けていました。

その点、三味線とかは、距離の分だけ音程が上下しますから、視覚的にも聴覚的にもシンクロするので
大好きっ!

いや…でも棹の下へ行けば下に行くほど距離が縮まってくるので、等間隔ではないからキモイと言われれば返す言葉もないですが…

あと、ピアノや筝は左手で伴奏しなきゃいけないじゃない?
私のメモリ不足の脳では、同時に全く違う作業をするのはかなり無理があるんですが、二胡やバイオリン、三弦系の楽器は主旋律弾いてればいいからね~
しかも、ピアノのように視覚的に離れた上下の譜面を同時に見る必要がない。
譜面は一つだけ見てればいいもんね~
私のメモリ不足の脳でも何とかなります。

そして、鍵盤が多いとか、弦が多いのも、もう視覚的に飛び込んでくるものが多すぎて疲れますが(見なきゃいいだろってか?)、三弦は三本、二胡は二本の弦しかなくて楽だわ~
でも、俗には弦が少ないほど難しいとか言われてるんだっけ?
そんなことあるわけないじゃん、私は弦が多いほど難しいと思いますっ…(^^;

ピアノはミスタッチしたら、明らかにミスタッチした音が響くのだけど…三味線や二胡って…ミスタッチというか、ちと音程狂っても、フレットないからしらばっくれてちょっと指ずらせば、滑音やビブラートでごまかせるんじゃない?(わはは…)

屁理屈をこねてスミマセン。
でも、本当にそう感じているンです…。

師匠に憑依してみた(((( ;゚д゚)))

三味線のお稽古中、どうやら師匠は、私がまき散らしている(と思われる)「悶々のオーラ」に攻撃されてしまったそうです。
先日、私は師匠のライブで、師匠を見ていたら自分が弾いているわけでもないのに、あがってしまって気分が悪くなった~と書きました。
(http://arts.legalio.com/?p=1032)
そしたら、今度は師匠が私のお稽古を見ていて、私と一緒に弾いたら、なんか、乗り移られたよ~な変な気がしたというのです(汗)

え~~~?
なんか、私があんまりにも真剣に弾き、それを真剣に見たら、なんか毒されたって感じらしいです。
「精神的苦痛による損害賠償請求とかされても、知りませんからね」
と言っておきましたが(^^;

またまたぁ~~~
師匠は私に大甘なので、笑わそうと思ってそういうこと言ってんじゃないの?と思わなくもありませんが、もし本当に師匠が「あれれ」と錯覚したというのなら、あれですかね…私が本当に師匠の音が好きで好きでしようがないんで、「真似よう、真似よう」と同期しようとするから、真似っこされる側は、鏡を見ている感覚になるんでしょうか?
しかも、真似しきれずに、歪みまくるから、その鏡は、かなり気持ち悪くねじれ曲がっていたりするのかも。

師匠は見た目も言動も実年齢よりは若いけど、「今、血圧上がったかも」とか言ってたから、あんまり私が難しい顔して弾いて、師匠の健康を害しちゃいけませんね。
特に楽器のお稽古ごとの先生をやってる人がよくいうセリフですが、生徒が恋したり、失恋したり、いいことあったり、不幸があったり、悩んだり、落ち込んだりするとほんと、よくわかるらしい。
で、普通は、「分かる」っていうだけで、「同期」までしちゃわないと思いますが、なんか私の負のエネルギーすごかったんでしょうか。

お稽古の帰り道すがら、思ったんですが、師匠にはいつも元気で楽しい三味線弾いてほしいので、私もいつも元気に楽しく三味線弾かないといけませんね。
私の知り合いには、「先生」と呼ばれる人、少なくありませんが、何の先生であれ、生徒が上達すれば嬉しいものらしいです。
別に、師匠を喜ばせようとか思ってお稽古するわけじゃないけど(もちろん自分の表現したい「音楽」のために私は日々練習しています)、私が楽しく弾いて、師匠も楽しくなるならそれにこしたことないもんなぁ。

笑顔は伝染する…
とりあえず
不祥の(不吉な)弟子ではなく、不肖の(おバカな)弟子を目指してがんばります!

あがりの疑似体験

先日、もしも小っちゃくなれたら、演奏家の懐に潜り込んで、客席を見てみたいと言いました。
それ、読んでない方は以下の書き込みの意味が分からないと思うので、まずはそちらからどうぞ。
http://arts.legalio.com/?p=1014

三味線の師匠のステージを拝見して、冗談抜きで、見ているだけにすぎない自分があがってしまいました…
別に小っちゃくなって師匠の懐に潜り込むというヤラシイ想像(*/∇\*)をしたわけではありませんっ!

日頃、師匠の音源聴きながら、弾いているせいだと思います。
つまり、左耳で師匠の音を聞きながら、右耳で自分の音を聞きながら弾いているということを日常的にやっているため、ある意味、師匠の音をよく知っているわけで…(弾いている本人よりも特徴を客観的に知っていると思います)
ただ、技術上の問題により、もちろん、私は師匠の音を再現なんてできませんが、再現しようと努力しているのは確かで…
だから、自分が勉強した曲に至っては、自分が弾いていないのに、容易にあたかも自分が師匠の頭の上にいるような感覚になっちゃったんです(^^;
だって自分が弾くときには、いつも師匠の音が聴こえているので、身体は弾いてなくても、脳は勝手に弾いているのと同じ状態になってしまったんですね(汗)

おえぇ…正直、心臓と胃の調子悪い。
だから、ムスッとして、さ~っと帰ってしまったのは、決して師匠のステージが面白くなかったわけではありません…
(ちゃんと書いておかないと、師匠はどうやら、たまにご覧になっているらしいから…)

余談ですが…
演奏家の視線というものは、実際のところ、どこへ飛んでいるんでしょうね?
第一部のステージ(師匠ではなく、別の方々が弾いています)では、やたら、ある打楽器演奏家の方と目があったような錯覚を覚えましたが、おそらく、対角線上にいた共演者の方を見ていたんだと思います。
でも、こっちを向く(ような気がしているだけなのだが…)たびに、その演奏家の方の顔が

「私は音楽が大好きだぁ~」

という笑顔全開なので、つられて私も微笑んでしまいました(^^;
ミラー効果ってやつですね。
人間は相手の行動に反応し、同じ行動をしたり同じ感情をもつ特性があり、原因は、人間の脳にある神経細胞「ミラーニューロン」の働きによるものらしい。
つまり、笑いは伝染するのです。

いいねぇ、あそこまで幸せそうな顔ができるっていうのは…
そういう人と共演できる人はものすごく幸せだと思います。

いつか、「あなたと一緒に弾けてすっごく楽しかった」と言われたいです。
ははは…あと何年経ったら、弾いているときに余裕で笑えるんでしょうね。