発表会ってどういうもんなんだろ?

本日、北京に戻ります。
この大気汚染の最中、戻りたくないけど、がっこは始まっちゃうんだよなぁ。
ちなみに、これは予約投稿(前日の晩に書いてます)。

いろいろ用事があるので、お金の無駄とは知りながら、たま~に日本に帰ってきます。
支障がなければ今度は4月下旬に東京に戻り、5月初旬、また北京に戻ります。
だから、三味線の発表会のエントリーしてきちゃいました。

三味線はほとんど弾けないんだけど(汗)、大合奏なんて間違っても分かんないよ、と師匠は言ってたし(笑)。
席順は事前に決めておくらしいけど、時間がない~とか混乱すると結局、どこでもいいから座れってこともあるらしい(本当?)
誰も私がどこにいるかなんて探しゃしないし、「私の音」そのものなんて客席に聴こえないし、あがらないように訓練するにはもってこいなのでは?

私の発表会の思い出と言えば、小学校低学年の時、親にお願いして通ったYAMAHAのピアノのグループレッスンが最初かな。
でも、結局、私はみんなでやったエレクトーンでの合奏、弾けなかったよ。
なぜか、かなり直前にトライアングル持たされて、ろくにリハーサルもなしに、「譜面通りに叩けばいいから。譜面と違っちゃっても、だいたい曲とあってればいいから」って言われて…
わはは~どうせ、私は落ちこぼれ~
前向きな私は、今となっては「私ってリズム感あるから、一人だけトライアングル持たせてもらえたんだ~」と思うことにしている(笑)

その後、ちょっとだけ、ピアノの個人レッスンも受けたけど、発表会は全部パス。
私は本当に物覚えの悪いダメダメ生徒で(自分でやりたくてやってたわりには、全然上達しなかったし、今では全く弾けない)、親もお金ないから、発表会なんていかなくていいよって感じだったし。
参加費に加えて、それなりの服装しないといけないわけでしょう?
実際は、うちにピアノなんてないから、電子オルガン叩いてたんだよね。
ピアノとずいぶんちがうよね。
だからいまだにペダルの使い方もしらないよ(笑)

高校のときだったと思うけど、第九(ハイ、クラシックです)を歌いましょうっていう会に友達と行ってました。
うちの父さんはベートーベン大好きで、カラヤン指揮、ベルリンフィル演奏とかいうレコードいろいろ持ってたんで、習いに行くことに反対は全然されませんでした。
その会の最後はプロオケとの本番公演で一年のサイクルが終わるっていう感じでした。
ほとんどが、大人や老人で、高校生って私らだけだったかも。
だけど、やっぱり本番前に、それなりの服装そろえられないからということもあって、やめました。
その他大勢の合唱の人なんて、白のブラウスと黒のロングスカートだから、いくら私の背が高すぎるといっても、今の時代だったら、ネットでいくらでも安く売っているから、こんな理由ごときで本番前にやめることなんてないんだけどね。

それ以降、一対一で教えてもらった楽器は、発表会なんてなし。
う~ん、確かに人前に出るというのは、オソロシイけど、人前でやらないと上手くならないというのも事実。
わざわざ、高い参加費払って、それなりの服装で舞台に上がらなくてはならないっていうのは、お金がないとできないこと。
なんでお金払って舞台に立って、わざわざ恥ずかしい思いしなくちゃいけないわけ?と思う人は少なくないんだろうな。
逆に素人でもプロ並みに弾ける人は、お金貰って舞台に立つならともかく、何でお金払って舞台に立たなきゃいけないわけ?って思うだろうな。

まぁ、私の場合は、発表会ってレッスン(勉強)の一部だと思ってますが…
でなければ、高いお金払って出る意味あんのかなって…
人の演奏聴いて、わが身を正すチャンスと思います。
上手い人はそのまま見習って、?な人を見たら、なんで?なのかなぁと考えれば、自分が同じ?なことをせずにすみますからね(^^;
まぁ、発表会の意味は、人それぞれでしょうけどね。

師匠に憑依してみた(((( ;゚д゚)))

三味線のお稽古中、どうやら師匠は、私がまき散らしている(と思われる)「悶々のオーラ」に攻撃されてしまったそうです。
先日、私は師匠のライブで、師匠を見ていたら自分が弾いているわけでもないのに、あがってしまって気分が悪くなった~と書きました。
(http://arts.legalio.com/?p=1032)
そしたら、今度は師匠が私のお稽古を見ていて、私と一緒に弾いたら、なんか、乗り移られたよ~な変な気がしたというのです(汗)

え~~~?
なんか、私があんまりにも真剣に弾き、それを真剣に見たら、なんか毒されたって感じらしいです。
「精神的苦痛による損害賠償請求とかされても、知りませんからね」
と言っておきましたが(^^;

またまたぁ~~~
師匠は私に大甘なので、笑わそうと思ってそういうこと言ってんじゃないの?と思わなくもありませんが、もし本当に師匠が「あれれ」と錯覚したというのなら、あれですかね…私が本当に師匠の音が好きで好きでしようがないんで、「真似よう、真似よう」と同期しようとするから、真似っこされる側は、鏡を見ている感覚になるんでしょうか?
しかも、真似しきれずに、歪みまくるから、その鏡は、かなり気持ち悪くねじれ曲がっていたりするのかも。

師匠は見た目も言動も実年齢よりは若いけど、「今、血圧上がったかも」とか言ってたから、あんまり私が難しい顔して弾いて、師匠の健康を害しちゃいけませんね。
特に楽器のお稽古ごとの先生をやってる人がよくいうセリフですが、生徒が恋したり、失恋したり、いいことあったり、不幸があったり、悩んだり、落ち込んだりするとほんと、よくわかるらしい。
で、普通は、「分かる」っていうだけで、「同期」までしちゃわないと思いますが、なんか私の負のエネルギーすごかったんでしょうか。

お稽古の帰り道すがら、思ったんですが、師匠にはいつも元気で楽しい三味線弾いてほしいので、私もいつも元気に楽しく三味線弾かないといけませんね。
私の知り合いには、「先生」と呼ばれる人、少なくありませんが、何の先生であれ、生徒が上達すれば嬉しいものらしいです。
別に、師匠を喜ばせようとか思ってお稽古するわけじゃないけど(もちろん自分の表現したい「音楽」のために私は日々練習しています)、私が楽しく弾いて、師匠も楽しくなるならそれにこしたことないもんなぁ。

笑顔は伝染する…
とりあえず
不祥の(不吉な)弟子ではなく、不肖の(おバカな)弟子を目指してがんばります!

あがりの疑似体験

先日、もしも小っちゃくなれたら、演奏家の懐に潜り込んで、客席を見てみたいと言いました。
それ、読んでない方は以下の書き込みの意味が分からないと思うので、まずはそちらからどうぞ。
http://arts.legalio.com/?p=1014

三味線の師匠のステージを拝見して、冗談抜きで、見ているだけにすぎない自分があがってしまいました…
別に小っちゃくなって師匠の懐に潜り込むというヤラシイ想像(*/∇\*)をしたわけではありませんっ!

日頃、師匠の音源聴きながら、弾いているせいだと思います。
つまり、左耳で師匠の音を聞きながら、右耳で自分の音を聞きながら弾いているということを日常的にやっているため、ある意味、師匠の音をよく知っているわけで…(弾いている本人よりも特徴を客観的に知っていると思います)
ただ、技術上の問題により、もちろん、私は師匠の音を再現なんてできませんが、再現しようと努力しているのは確かで…
だから、自分が勉強した曲に至っては、自分が弾いていないのに、容易にあたかも自分が師匠の頭の上にいるような感覚になっちゃったんです(^^;
だって自分が弾くときには、いつも師匠の音が聴こえているので、身体は弾いてなくても、脳は勝手に弾いているのと同じ状態になってしまったんですね(汗)

おえぇ…正直、心臓と胃の調子悪い。
だから、ムスッとして、さ~っと帰ってしまったのは、決して師匠のステージが面白くなかったわけではありません…
(ちゃんと書いておかないと、師匠はどうやら、たまにご覧になっているらしいから…)

余談ですが…
演奏家の視線というものは、実際のところ、どこへ飛んでいるんでしょうね?
第一部のステージ(師匠ではなく、別の方々が弾いています)では、やたら、ある打楽器演奏家の方と目があったような錯覚を覚えましたが、おそらく、対角線上にいた共演者の方を見ていたんだと思います。
でも、こっちを向く(ような気がしているだけなのだが…)たびに、その演奏家の方の顔が

「私は音楽が大好きだぁ~」

という笑顔全開なので、つられて私も微笑んでしまいました(^^;
ミラー効果ってやつですね。
人間は相手の行動に反応し、同じ行動をしたり同じ感情をもつ特性があり、原因は、人間の脳にある神経細胞「ミラーニューロン」の働きによるものらしい。
つまり、笑いは伝染するのです。

いいねぇ、あそこまで幸せそうな顔ができるっていうのは…
そういう人と共演できる人はものすごく幸せだと思います。

いつか、「あなたと一緒に弾けてすっごく楽しかった」と言われたいです。
ははは…あと何年経ったら、弾いているときに余裕で笑えるんでしょうね。